健康生活TOP 高齢者の病気や症状 寝たきりと寝かせきりは違う!日本に多い寝たきり老人の介護問題

寝たきりと寝かせきりは違う!日本に多い寝たきり老人の介護問題

患者と家族の手

人は誰しも、歳をとるもの。歳をとれば体が弱り、今までできていたことができなくなったり、病気にかかりやすくなったりします。

あなたの大切な家族が、老いて弱ったその時に、どういった介護ができるでしょうか。

父や母、祖父や祖母。自分よりも先に老いる家族へ、人生の終わりに後悔させないよう、一般的によくある事例について知っておきましょう。そうすれば、あなたなりの対応方法を導き出すことができるはずです。

日本には寝たきり老人が多く、欧米には寝たきり老人は少ない

具体的な統計はありませんが、日本と欧米とでは、高齢者に対する意識の違いが明確にあります。それは、高齢になり、体の機能が衰えた方への対応方法を見れば、おのずと見えてくることです。

欧米では、老いを自然なものとして受け入れる

欧米において、「高齢になる」という現実のとらえ方は、日本のそれとはすこし異なります。その違いこそが、日本と比べて寝たきり老人が少ないことに関係していると考えられます。

人間に限らず、すべての生き物には寿命があります。歳をとり、体が弱り、衰弱し、やがて寿命を迎えて逝去すること。これは、生き物すべてに共通する、自然の摂理です。欧米では、多くの人が、これを当然のものとして受け入れています。

「尊厳死」という言葉を聞いたことはないでしょうか。

尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。

自分で食事を摂ることができなくなり、介助して口に食べ物を入れてもらっても飲みこめなくなった時。しゃべることもできず、自分でなにかを考えることも難しくなり、意思表示ができなくなった時。自力では呼吸もできなくなった時。

そんな時でも、現代の医療では、ただ生かしておくことは可能です。お腹に穴をあけて胃に栄養を流し込む胃ろうをつくり、人工呼吸器を装着させ、強制的に栄養摂取と呼吸をさせれば、生命を繋ぐこと自体は可能です。

ですが、それは果たして、「その人らしく生きている」と言える状態でしょうか。強制的に生かされ、自分ではなにも選択することができない状態を強いられている状態で、その人は「生きている」と言えるのでしょうか。

欧米では、それを不自然とし、自然に死を迎えることを受け入れている方が多くいます。苦痛を和らげ、安らかに逝けるお手伝いはしても、不自然に手を加えて強制的に生かす手段は良いとは考えられていません。

高齢者の衰弱や死を自然なものとして受け入れる、その考え方にこそ、欧米で寝たきり高齢者が少ない理由となっているのです。

老いを受け入れても、何もしないという訳ではない

老いて死ぬことを受け入れるからといって、高齢になって弱った人を放置するのが良いというわけではありません。老いを受け入れることは、何もせず過ごすこととは違います。

高齢になると体は弱りますが、なにもかもが一遍にできなくなるわけではありません。人によって個人差はありますが、手の動きが悪くなる、足が弱る、記憶力や物忘れが増えるなど、部分的に少しずつできないことが増えていくことが多いでしょう。

もちろん、ケガや病気で、いろいろなことが一遍にできなくなる場合もあります。が、その場合でも、ほんの少しでも何かの機能が残されていることが多いはずです。

残された機能を活かしたお手伝いをしてあげれば、その人はまだその人らしい生活がおこなえます。

気を付けなくてはいけないのは、「できないからやってあげる」では意味がないということです。「その人ができるように、お手伝いをしてあげる」ことが大切なのです。これを、自立支援といいます。

高齢者によく見られる機能の低下を挙げて、自立支援を目的としたお手伝いの例を考えてみましょう。

足が悪くなって、買い物に行くのが大変になってしまった場合
「代わりに買い物に行ってあげる」のは、とっても親切です。気の利く方なら、在庫を見たり本人の好みに合わせたりして、言われなくても適当なものを買ってきてあげたりするかもしれません。ですが、それでは本人のためにはなりません。

なんとか歩けるけど荷物は持てない程度なら、荷物を持ってあげれば買い物に行けます。

介助があれば移動できるなら、一緒に買い物に行くことができますね。買い物に行けない場合でも、買ってきてほしい物は何なのか、自分で考えてもらうことはできるでしょう。

指や肘、膝などの関節が固まり、服を着替えるのが大変になった
「着せてあげるから、座っていていいよ」と言われれば、本人はとても楽ですね。すべてやってあげてしまえば、着替え時間も短くて済みます。ですが、やってあげてしまえばしまうほどに、本人は何もできない人になっていってしまいます。

袖は通せるけどボタンが留められないなら、ボタン留めだけしてあげるか、ボタンのない着やすい服を用意してあげましょう。

屈みこめないなら、ズボンを足に通すところだけやってあげましょう。部分的なお手伝いがあれば、本人が着替えられる場合もあります。

手順が覚えられなくて、料理や洗濯などの家事ができなくなった
「やっておくから、あなたは何もしなくていい」というのは、おそらくもっとも楽な手段です。ですが、それでは本人が自分の役割を失い、無気力になり、さらに物忘れが進んでいってしまう恐れがあります。

教えてあげればできるなら、動作をするときに傍にいて、適時声をかけてあげましょう。手順ごとに張り紙をしておけば、その張り紙を読んで動作ができる場合もあります。

間違えてやってあった場合でも、叱ることはせず、本人ができた部分を肯定してあげましょう。

例に挙げたこれらの事態は、高齢者に見られる機能低下のほんの一部です。性格や疾患などにより、全く違う状態になることもあるでしょう。本人の状態をよく観察し、「なにをしてあげたら、その人らしく過ごせるのか」を考えることが大切です。

大切な家族の、老後の介護方法について考えよう

「両親に介護が必要となった時に、傍にいていつでもその生活を見守れる」というのは理想ですが、実際にそうはできない方も多いでしょう。

日本では、核家族化が進んでいます。子供は両親とともに育ち、成長したら両親のもとを離れ、実家とは別の場所で自分の家庭を持つというスタイルが多く見られます。

これが高齢夫婦のみの世帯や、老老介護が増加する原因となっている仕組みでもあります。

誰もが、「自分らしく生きたい」と思っているでしょう。また、「自分のことは、自分でやって生きていきたい」「他人の世話にはなりたくない」と思っている方は多いはずです。

けれど、そんな理由があっても、老いていけば一人で生活できなくなる時はいずれやってきます。

離れて暮らす両親や祖父母など、大切な家族に幸せな最期を迎えさせてあげるために、今のうちからできることもあるはずです。今、自分にできることは何なのか、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

普段の生活を見直して、健康寿命を延ばそう

介助できる人が傍にいなくても、その人がその人らしく生きられるようにするためには、介助が必要ない元気な状態でいてもらうことが大切です。

生まれてから死ぬまでの期間を「寿命」と呼びますが、その中で、健康上の問題なく日常生活ができる期間を「健康寿命」と呼びます。この健康寿命を延ばすことが肝要となります。

平均寿命と健康寿命の差を表したグラフ

上の表を見ると、平均寿命の延び率に対し、健康寿命の延び率が緩やかなことがわかります。外から手を加えて無理やり生かすことは比較的簡単ですが、健康でいることには本人の努力や周囲の手助けが必要です。

病気になったり、体に不自由を感じ始めてから、「あれをしておけば良かった」と思っても遅いのです。何気なく過ごしている日常が、これから先の生活へと繋がります。まずは、日常生活を見直してみましょう。

  • 朝起きて夜眠り、日中はだらだら寝ないで活動して過ごす
  • 規則正しい時間に、栄養バランスのとれた食事を食べる
  • 歯や口の中の状態を良好に保ち、食事がしっかり摂れるようにする
  • 適度な運動をする
  • 家庭や地域の中で役割や仕事をもち、適度な緊張感がある生活をする
  • 人と交流して、精神的にも活気のある生活をする

要介護状態になるのを予防する観点から見ると、栄養や運動で体の健康を保つことと、交流や活動で精神状態や心を健康に保つことが大切です。体が動かなくなっても、物忘れや記憶力がなくなっても、自立した生活を営むことは難しくなります。

公的制度や、住まいの地域の資源を活用しよう

離れて暮らす家族には、なかなか目が届きづらいものです。日常生活に気を付けるよう声をかけ、できる限り環境を整えたとしても、普段どういう生活をしているかまで見守ることは難しいこともあるでしょう。

そんな時には、他の力を借りることを考えましょう。

公的な制度はもとより、自治会や民生委員、民間事業など、助けになるものは意外と身近にあるものです。知らなければ頼むこともできないので、まずは一般的にどういったものがあるかを挙げてみましょう。

介護保険
2000年に施行され、年数が経ったこともあり、一般認知度が高くなった公的制度です。一定以上の介護が必要な状態になったと判断された場合に、認定を受け、介護保険サービスを利用することができます。

利用にあたっては、市役所の高齢福祉関係の窓口や、地域包括支援センター、居宅介護支援事業所のケアマネジャーと連絡をとることになります。いずれも介護に関わる窓口ですから、困ったことがあった場合にはまず相談をしてみると良いでしょう。

民生委員
任期は3年で給与はなく、市町村の民生委員推薦会から推薦されて、厚生労働大臣により委嘱されます。住まいの地域ごとに担当の民生委員が決まっており、担当者が誰なのかは自治会や市役所などで教えてくれます。

安否確認や見守り・声かけをしてくれたり、福祉サービスの利用について情報をくれたり、その役割は多岐にわたります。ご家族にお一人暮らしの高齢者がいる方は、担当の民生委員が誰でどんな方なのか、顔合わせだけでもしておくと良いかもしれません。

宅配弁当
食事を届けてくれるサービスです。基本的にはお弁当などを配達してくれる形式ですが、宅配のついでに安否確認をしてくれるサービスをおこなっている事業もあります。民間事業の他、自治体で独自におこなわれているものもあります。

減塩食や低カロリー食などの特別食や、食事の形態、冷凍か常温かなど、事業によって異なります。安否確認サービスの有無も含め、最も希望に近い形で運営している事業を選びましょう。

この他にも、緊急通報システムや、安心電話の設置など、自治体で工夫したサービスが用意されている場合もあります。

自治体によって異なる部分が多いので、「助けになるものを知りたい」と思ったときには、市役所などの公的機関に相談することをお勧めします。

高齢になった家族と離れて暮らしていても、情報を集めたり、いざという時のために繋がりをつくっておくことは、いつの時点からでもできるはずです。後々できるだけ後悔しなくて済むように、今のうちからできることはやっておきましょう。

いずれ訪れる最期の迎え方について、家族で話しておこう

老いた家族の看取りはそう何度もあることではありませんから、経験をお持ちの方は少ないでしょう。

ですが、「なにも知らなかったから、なにもしてあげていなかった」では後悔してもしきれません。介護が必要になってから行動したり、本人が何もわからなくなってから最期のことについて考えるのでは遅いのです。

もっとも大切なことは、家族間での意思確認

何よりも大切なのは、まず、最期についてどうしたいのか、家族間でよく話し合っておくことです。

  • 介護が必要になった時に、家族の誰が、何を、どれくらいできるのか
  • 本人はどうしたいのか(家で暮らしたいのか、施設に入りたいのか)
  • 本人の財産と家族の支援を含め、介護に使える資金はどの程度あるか
  • 本人が、延命を望むか、望まないか
  • 本人の延命についての意思に対して、家族はどうしてあげられるか

よく話題に取り上げられるのはこういった項目ですが、家族関係や環境などによっては、他にも話し合うべきことがあるでしょう。

一度の話し合いで、結論は出ないかもしれません。また、一度結論が出たと思っても、覆ることもあるでしょう。けれど、幾度でも納得いくまで話し合いを重ね、意向が変わった時にはそれを確認しておくことも大切です。

まじめな話し合いでなくとも、談話のなかで話が聞かれることもあるでしょう。そういう時にこそ、本音や素直な気持ちが聞かれることも多いはずです。

普段からコミュニケーションをとることは、日々を生き生きと過ごすことにも繋がり、健康寿命を延ばすことにもなります。

必要になった時だけ、最期だけ関わることを考えるのではなく、普段の接し方から見直してみることも大切です。

何のために延命の選択をするのかを、考えよう

突然の事故や疾患の発症などで、家族内での話し合いがまとまる前に、胃ろうなど延命の選択を迫られることもあるかもしれません。その場で即断即決できるようなことではありませんから、延命の是非について、家族内で意見が割れることもあるでしょう。

そういった時には、「何のために延命処置をするのか」を考えてみましょう。

延命の選択をすることが、一概に悪いというわけではありません。「大切な人に生きていてほしい」、「たとえ何もわからなくても、この世からいなくならないでほしい」と思うのは、当然のことです。そうして延命を選択しても、責められることではありません。

それに、「延命処置をすればまだ生きられます。しなければ遠からず亡くなります。どうしますか」と訊かれたとしたら、「延命をしない」と答えることは、とても勇気が要ることでしょう。罪悪感を感じてしまうことも、少なからずあると思われます。

ですが、延命処置は、命を延ばすための処置です。延命処置をしたからといって、その時点の状態から回復する見込みについては不明です。高齢者の場合は、なおさらです。

延命処置をするということは、そうして生きる姿を看続けるということです。当然、費用もかかります。

延命処置の判断を迫られたときには、「人が人らしく生きることはどういうことなのか」、「人らしく死ねることとはどういうことなのか」について考えてみてください。そして、前述の尊厳死について、自分なりの考えを思い浮かべてみてください。

できることなら、本人の生前の意思や考え方を汲み取ってあげられると良いでしょう。

本人が意思決定できる手紙などがなければ、これは家族が判断しなくてはいけないことです。ですが、とても重大で、精神的にも負担がかかる事柄です。

だからこそ、本人が意思決定できる状態の時に、話し合っておくことが大切なのです。

看取りについて、どういう方法がとれるのか

医療費にかかる社会保障費が増え続けている昨今では、費用削減のため、入院期間を短くしようとする動きがあります。

看取りや安全確保のために長期間の入院をさせることはできず、加療の必要性がなければ退院を迫られることも珍しくありません。

救急搬送をされた場合にも、検査の結果で入院して治療をする必要性が見つからなければ、その日のうちに自宅に帰される場合もあります。

積極的な加療の必要性がない方が、看取りのために入院することは、ほぼ不可能と思ってよいでしょう。

そうなれば、考えておきたいのは、終末期の過ごし方です。延命をしない場合は、そう長い期間ではないかもしれませんが、ひとりにはさせておけない期間が絶対に訪れます。その時にどういった対応ができるかを、考えておく必要があります。

日本で、胃ろうを造設される方が多い理由のひとつに、施設入所の条件があります。胃ろうを造設するということは、痰の吸引やろう孔の処置などは必要になりますが、命の危険は急場はない安定した状態となるからです。

ただし、「胃ろうは受け入れができない」という施設もありますし、胃ろうであれば生きている間は問題が起こらないというわけでもありませんから、「胃ろうにして施設入所をさせたら、亡くなるまで安心」というわけではありませんので、安易な選択は禁物です。

延命を希望しないのであれば、選択肢はある程度狭まります。期間が短いと想定されるので、その間にできることも、やらなくてはいけないことも、限られてくるからです。

亡くなるまでの長くはない期間を、家族がついて自宅で過ごすか、看取りを前提として入所できる施設を探すかを、まず考えることになるでしょう。

他にとれる選択肢がないか、家族で話したり、市役所や病院の相談員と相談をしたりすることもあるかもしれません。

自宅で看取る選択肢をとった場合には、下記のことについて覚えておくと良いでしょう。

訪問診療を受ける
入院期間の短縮に伴い、在宅での看取りが推奨される傾向にあります。そこで発達してきた分野が、医師が自宅に診療に来てくれる訪問診療です。

かかりつけ医がいれば頼めるか訊いてみたり、市役所や病院の相談員から紹介してもらう手段があります。

訪問診療は、療養以外の目的でもとても重要な存在です。在宅での死亡について、事件性がなく、検死などの必要がないことを保証し、死亡診断書を作成してくれる立場でもあるからです。


医師法第20条ただし書は、診療中の患者が診察後24時間以内に当該診療に関連した傷病で死亡した場合には、改めて診察をすることなく死亡診断書を交付し得ることを認めるものである。

このため、医師が死亡の際に立ち会っておらず、生前の診察後24時間を経過した場合であっても、死亡後改めて診察を行い、生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できる場合には、死亡診断書を交付することができること。


診療中の患者が死亡した後、改めて診察し、生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できない場合には、死体の検案を行うこととなる。

この場合において、死体に異状があると認められる場合には、警察署へ届け出なければならないこと。

医師法第20 条ただし書の適切な運用について(通知)
(平成24年8月31日付け医政医発0831第1号)

要介護認定を受ける
介護保険では、ケアマネジャーがその必要性を見立てて手続きをおこなえば、医療系のサービスを受けることもできます。

自宅に看護師が来て処置をおこなってくれる訪問看護や、医師が療養上の指導をおこなってくれる居宅療養管理指導などです。

その他にも、寝たきりでも入浴ができる訪問入浴や、おむつ交換などを手伝ってくれる訪問介護などのサービスがあります。

状態によっては医療保険の適用になるものもありますが、それについては担当のケアマネジャーが医師と連絡をとって確認してくれます。

在宅で看取るためには、医療的なフォローと、生活を成り立たせるための支援が、大きな役割となるでしょう。

それ以外にも、不安なことや心配なことは、上記のツテで繋がりができた医師や看護師、ケアマネジャーなどにどんどん相談していきましょう。

心の準備と話し合いは、いつ始めても早くはない

どれだけ準備をしておいても、事態に直面したときには平静ではいられないものです。いくら話し合いを重ね、看取りについて気持ちを固めていても、いざその時期がきたら気持ちが揺らいでしまうこともあるでしょう。

人の気持ちは変わるものですし、その時になってみないと分からないこともあります。

ですが、すべてが終わって落ち着いたときに、「たくさんのことを話して、気持ちを聴いて、やれるだけのことはやった」と思えたのなら、そこにはきっと後悔はないはずです。

「もっと、どう生きたいのか聴いておけばよかった」と後悔するよりも、ずっと前向きになれるでしょう。

できるだけの手を尽くして、本人だけでなく家族も納得ができる看取りをおこなうことは、遺された家族がその後穏やかな気持ちで過ごすための助けにもなります。

その時は、いつ訪れるかわかりません。「まだずっと先のことだ」と直視を避けて先延ばしにするよりも、今からできることをこつこつと積み重ねてみてはいかがでしょうか。

キャラクター紹介
ページ上部に戻る